まともがわからない

虚実半々くらい

むすんでひらいて

モバイルバッテリーを取り出そうとして肩を滑らせたリュックを地面に落としてしまった。

リュックの横には小さなミミズがいて、突如横に降ってきた巨大な落下物に怯えるようにクネクネと身を捩らせていた。

普段だったら気持ち悪いと感じてしまう光景だが、自分の口から「ごめんな」という素直な謝罪の言葉が漏れたのは、昼間に観た映画の影響かもしれない。

 

綿矢りさの同名小説が原作の映画『ひらいて』。

同氏の小説をほとんど読んだことがないこともあって、自分では進んで観ようと思わないタイトルだったが、映画に詳しい同僚が面白かったと言っていたので気になってチケットを取った。

 

劇場に入ると、客席に座っているのが若い女性ばかりで面食らった。普段自分が観に行く映画の客層とえらい違いで少し不安になる。エンドロールを見て知ったのだが、主要人物の男子校生を演じる俳優がジャニーズの人気メンバーらしく、それを目当てにやってきた人が多かったのだろう。

 

『ひらいて』は、ソシオパス気味の女子高生の愛憎入り混じった奮闘劇だ。主人公は好きな男子に恋人がいることを知り、かなりダーティーな手法を用いてその恋人に接近する。恋人と仲良くなることには成功したものの、肝心の男子からは相手にされず、それでも自分の気持ちを抑えられずに暴走していく。

 

「純愛」なんて口にすれば歯の浮くようなセリフだが、そもそも「愛」なんてものは種を残すため、あるいは種を守るためのプリミティブな感情で、それが生物の本能なのだから「純」なのは当然のことである。これは恋愛にのみ限った話ではなくて、家族愛、友情にもいえることだし、生殖を目的としないプラトニックな愛情や同性愛についても同じことだろう。

 

「純愛」を貫くカップルと、そこに異物のように混ざり込む主人公との歪な関係。劇中にはもうひと組、肉体関係による繋がりを持った男女も登場するが、いずれの人物も(程度の差こそあれど)危ういけれど確かな恋愛感情を持っているという点では大差ない。

 

初めは憎むべき相手として近づいた恋敵にも、彼女を籠絡しようといきすぎたスキンシップをとる内に複雑な感情が芽生える主人公。卑怯なやり方で意中の人に好意を伝えても内面を見透かされ、痛々しく突飛な行動を取り続ける。やがて、その瞳は光を失っていく。そんな主人公の名前が「愛」なのも妙に皮肉めいている。

 

主人公の行動は最初からエキセントリックで理解し難いのだけれど、その感情の動きは痛い程わかって、思わず涙してしまうシーンもあった。

チェンソーマン」といった作品が登場するのも今っぽくてよかったし、最近の日本の学園モノにありがちな「スクールカースト」的なものをわかりやすく描いていない点にも好感が持てた。ジュースの使い方もうまい。なにより、主演の女子2人の演技が素晴らしかった。

 

タイトルの「ひらいて」が示すのは手紙なのか、桜の花なのか、心なのか、それとも別のものなのか。

 

エンドロールの後、件のジャニーズファンの女の子たちが口々に感想を言い合っていた。

「何某くんカッコ良かった~。映画はよくわかんなかったけど。でもああいう女いるよね。人の彼氏を奪いにいく女。ほんとに無理」

個人の感想なので口出しするのが野暮なのは重々承知だが、そんな言葉で片付けていいものか。

あれは私であり、あなたであり、人に愛情を感じたことのある全ての人々持つ醜くて純真な一面なのだ。

アイドルの男の子を熱烈に応援するあなたにはきっとわかるはずだ。

 

冒頭の話に戻ろう。

有名な童謡の歌詞じゃないが、ミミズだって懸命に生き、種を残そうと生殖活動を行えばそれこそ立派な「純愛」だ。僕が彼(ミミズは雌雄同体なので正しくないが)にいつもより優しくなれたのは、この映画を観てそんな事を考えたからだろうと思う。

 

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