まともがわからない

虚実半々くらい

スローガン、スローダウン

社内で人権標語の公募があった。

 

人権標語と言うのは「ありがとう/その一言が/社会を変える」みたいな、小学4年生あたりが硬筆の訓練で書きそうな、純真無垢かつ偽善に満ちた自由律のメッセージであり、一体誰から誰に向けられているのかもよくわからない謎の代物である。そんなものを毎年募集して優劣をつけ、何らかの審査プロセスを経て評価されたものには気持ちばかりの賞品が与えられると言うのだからなおさら狂気じみている。

 

などとアイロニーを撒き散らしながらも、私も文学青年気取りの端くれとして、ささやかなプライドを持ってこれに挑むこととなった。

半ば強制的に一人一つのネタ出しを要求され、周囲がうんうんと熟考する中、こういうのは頑張って考えた感が出ちゃうとダメなのよねーなんて思いながら、さも適当にさらっと考えたふうに、一つの標語を提出した。

 

「言葉のウイルス防ぐため/心にマスクをつけましょう」

 

これが私の提出した標語だ。

我ながら完璧だと思った。周囲への思いやりを簡潔に表現しているし、標語らしいリズム感もある。

何より時代のトレンドを汲み取り、風刺も効いている。

今年は時世柄、同様のニュアンスの作品が多いことも予想されるが、一定の評価は得られるだろうと内心スケベ顔で腹積りしていた。

 

翌日。全ての作品が集まった。

集まった作品は一度部内で投票を行い、最も票を集めた一つが本部へ送られる。

どれどれ、お手並み拝見、と他の作品に目を通した瞬間、私は虚無感を味わうこととなる。

 

「つなげよう/思いやりの輪」

「なくそう差別」

「優しい心を/育もう」

 

何の捻りもないストレートな標語の数々。

それらを目の当たりにし、私は自らの思い上がりを恥じた。

同時に、街や電車内に溢れるやたら気を衒った広告や啓発ポスターに対して日々抱いていた違和感の正体を掴んだような気がした。

標語なんていうものは平易であればあるほどよいのだ。それこそ幼稚園児にも伝わるような。

気を衒って洒落ようとすればするほど伝えるべき本質からは遠ざかっていく。

何が「言葉のウイルス」だ。何が「心にマスク」だ。全然意味わからんし巧くもない。私は自らを呪いながら、最も捻りのない作品に愛を持ってありったけの持ち票を投じた。

 

 

少し前に読んで面白かった本、「はじめまして現代川柳」

 

はじめまして現代川柳 | 小池正博, 小池正博 |本 | 通販 | Amazon

 

現代短歌や現代川柳といったものは、何となく大喜利チックなイメージがあり、妙にわざとらしい感じがして敬遠していた。

正直いうと、本書も好きなデザイナーが装丁に関わっているという一点に惹かれて買ったのだが、収録作品の内容もめちゃくちゃ良くて感激した。たった17文字(本書には17文字以外の作品、そもそも文字数を定義できない作品も登場するが)の表現で一本の映画を見たような読後感を残すような作品も数多くあり、そんなものが全2,600本以上収録されているのでカロリーは高めだが、かなり満足のいくヴォリュームであった。

 

言葉とは不思議なもので、表現の飛躍が実際に伝えたいこととの乖離を生むこともあれば、深い抽象性を介して美しいイメージを想起させることもある。

 

ネット上を中心として日常に溢れるミームスラングは何となく使い勝手が良く、面白い感じを簡単に共有できるので私もつい使ってしまいがちだが、流行に呑まれるのではなく、一歩踏みとどまって言葉の意味を考え、その一つ一つを自分の中でパズルのピースように組み立てていくことこそが表現の真の面白さであると改めて気付かされた。

 

その時、この標語が少し意味を変えて自らに語りかける。

「言葉のウイルス防ぐため/心にマスクをつけましょう」

 

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