まともがわからない

虚実半々くらい

ハルキゲニアの復元図

「ハルキゲニア」という生物がいる。

 

いや、「いる」というのは語弊がある。

それが存在したのは今から遥か5億年以上前、古生代カンブリア紀のことであり、現在では化石でしかその姿を確認できない永遠に失われた生物なのだ。

 

「夢みごこち」を由来とするというその名の通り、奇天烈でグロテスクな姿形をしており、強いて言えばムカデかエビに近いような気もするが、現存する生物とはかけ離れた特徴を持っている。

 

その奇妙なルックス故に、ハルキゲニアの復元には紆余曲折があった。

 

ハルキゲニアは身体の上下にそれぞれ柔らかい触手と硬い棘をもつ生物である。

当初、復元図が作成された際は、触手が身体の上部に、棘が下部にある姿で描かれたが、のちの研究で上下が逆であったことが判明する。

さらにその後、研究が進み情報が増えるにつれて、それまで頭部だと考えられてきた球体状の部位とは反対側の尾部とされてきた部位から目と歯が発見され、左右までもがあべこべであったと結論付けられたのである。

 

 

現在関わっている仕事の中で、カシミール紛争について調べる機会があり、参考文献として「カシミール/キルド・イン・ヴァレイ インド・パキスタンの狭間で」(著:廣瀬和司)を読んだ。

長らく核保有国のインドとパキスタンの間で宗教・領有権をめぐる紛争が続き、最近では中国の介入により一層緊張が増すカシミールにおいて、そこで暮らす人々に緻密なインタビューを行い、日本のニュースでは報じられない内部の実情を生々しく伝えた良著であった。

 

紛争は当然、自分たちの考えが正しく、対立する相手は誤った愚かな考えを持っているという前提で行われる。一方で正義だとされることがもう一方では絶対的な悪であり、自らの行いは正義の名の下に正当化され、その残虐性を内に隠してしまう。要は情報の切り取り方であり、第三者の視点ではそのトリミング次第で善悪が真逆になってしまうのである。

 

 

社会人として働き始めてから、周囲から「メンタルが強い」だとか「ストレス耐性がある」だとか言われることが増えた。自分なりに色々悩んだりもしているのだが、あまりそういう風には映っていないらしい。

一方で、家族や長い付き合いの人々は私の精神面の弱さや臆病さをよく理解しており、時たま冗談まじりにイジってくれる。私はいつもその気遣いによって自分を見失わないで済むのだ。

これもまた、私に関する情報量の大小から生じるイメージの齟齬なのであろう。

 

個人がある事象について得られる知識はごく限られている。書籍やインターネット、インタビューを通じた情報も、ほんの一面を切り取ったものに過ぎない。

ましてや一個人の性格や思考についてなど、本人ですら理解していないことの方がほとんどであるように思う。

 

他者に対して安直な固定観念を持つのではなく、情報を蓄積して柔軟にイメージを更新し、少しでも相手を深く理解しようとする。

その重要性を、奇妙な見た目のご先祖様は示唆してくれているかのようである。

 

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