まともがわからない

虚実半々くらい

今夜、すべての

とある夜のこと。

二軒目としてアテにしていた飲み屋が満席であったため、ふらふらと夜の街を彷徨っていた我々は、店内から漏れ聞こえるピアノの音に誘われるように一軒のジャズバーの扉を開いた。

ジャズバーは実際にジャズメンが生演奏するタイプの店と、店主が選曲したジャズのレコードやCDを垂れ流すタイプの店に大別されるが、その店は後者のタイプであった。

狭く薄暗い店内には店主と2人の男性客がおり、コンポからは大音量でジャズ・トランペットの音が響いている。隻腕で強面の老店主が無言で指し示した席につく。メニュー表などは当然のように無く、バーに不慣れな我々は恐る恐る瓶ビールを注文した。

店内にいたのはいかにもジャズ・マニアといった風体のメガネの男と、筋肉質なスキンヘッドの男。スキンヘッドの男は腕組みをしながらジャズに没入し、時折少し頷いてからちびちびとウイスキーを嘗めている。ジムのインストラクターのような見た目に似つかずジャズの知識が豊富らしく、時々思い出したように誰に話すでもなくジャズの蘊蓄を虚空に放っている。店主は相変わらずの仏頂面で、マッドサイエンティストが化学薬品を調合するかのように片腕で器用にカクテルを作り続けているが、おそらく常連客であろうスキンヘッドとは阿吽の呼吸であるらしく、互いに一言も交わさずにグラスが空くタイミングでウイスキーを注いだり、CDの裏面に書かれた曲目を見せたりしている。

 

我々が入店してから30分ほど経っただろうか。

店主がスキンヘッドと初めて短い会話を交わした。

店主の表情が不敵に緩む。おもむろに壁の棚から引き抜いた一枚のCDをコンポに入れ、ボリュームコントローラーをグイッと回す。

店主の持つCDのジャケットにはコールマン・ホーキンスの名前があった。

 

やがてスピーカーから流れ出たリズムに合わせて、繊細かつ力強いホーキンスのサキソフォンの音が絡みつく。重いウッドベースの音が老朽化した木造建築の梁をビリビリと震わせる。

 

演奏が大きくスウィングした次の瞬間、スキンヘッドが大きな声を上げた。

「いいいいいねえええええ!」

 

男の感情が爆発したような、それでいて店内の雰囲気に配慮した絶妙な称賛の声。

SNSで流れ作業のように生産される「いいね」とは比べ物にならない深く染み入るような声。

 

その後も曲の展開に合わせて男の「いいね」は続く。

曲調に応じてトーンの異なる「いいね」が吐き出され、それが空間に一種の調和をもたらす。

 

しばらく無言の時間が続き、ふと気がつくと男が座っていた席には三枚の紙幣と空のグラスだけが残されており、男は忽然と姿を消していた。

 

その出来事があって以来、いい音楽や映画に出会うと、心の中にあのマッチョのスキンヘッドが現れるようになってしまった。

ライブハウスでDJがかけた往年の名曲、サブスクリプションのシャッフルでかかった知らない曲、グッときた漫才の1フレーズや小説の中の秀逸な比喩表現。

心が震えた瞬間、ふいにあのスキンヘッドが顔を出し、野太い声で叫ぶのだ。

「いいね!」

 

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